歴史革命自己犠牲
二都物語A Tale of Two Cities
Charles Dickens / イギリス / 1859年 ・ 読了目安 360分
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「これは私がこれまでしてきた中で最良のこと、最も安らかな休息だ」。
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主な登場人物
- シドニー・カートン才能を持ちながら自堕落な生活を送るイギリス人弁護士。ルーシーへの届かぬ愛を胸に秘め、物語の終盤で己の人生に唯一の意味を与える選択をする。
- チャールズ・ダルネーエヴレモンド侯爵家の血を引きながら一族の圧政を恥じ、姓と財産を捨ててロンドンで生きるフランス貴族。ルーシーと結ばれるが、革命下のパリで一族の罪ゆえに命を狙われる。
- ルーシー・マネットマネット博士の娘で、父を心の病から立ち直らせた献身的な女性。ダルネーの妻となり、周囲の男たちの人生を照らす存在として描かれる。
- アレクサンダー・マネットかつてエヴレモンド家の悪事を目撃し口を封じられ、18年間バスティーユに投獄されていた医師。獄中で綴った告発状が、後にダルネーを窮地に追い込む皮肉な因縁となる。
- マダム・デファルジュ家族をエヴレモンド兄弟に惨殺された過去を持つ革命家。編み物に処刑対象者の名を刻みながら、執念深い復讐を果たそうとする。
- ジャーヴィス・ロリーマネット家と長年関わるテルソン銀行の老行員。物語の各局面で人々を結びつけ、支える理性的な役割を担う。
あらすじ
あらすじ(ネタバレあり)
フランス革命前夜のロンドンとパリを舞台に、運命を呪われたようにすれ違う人々を描く長編小説である。医師のアレクサンダー・マネットは、エヴレモンド侯爵家の非道な所業を目撃した咎で口を封じられ、18年もの長きにわたりバスティーユ牢獄に不当に投獄されていた。心を病んだ状態で救出された博士は、テルソン銀行の行員ジャーヴィス・ロリーの手引きで、彼の存在すら知らなかった娘ルーシーと再会し、ロンドンで静かな暮らしを取り戻していく。
ルーシーのもとには、フランス貴族の血を引く青年チャールズ・ダルネーが求婚に現れる。ダルネーはエヴレモンド侯爵家の末裔でありながら、一族の圧政と残虐を恥じて姓と財産を捨て、ロンドンでフランス語教師として生きる道を選んでいた。奇しくもダルネーは、ロンドンで反逆罪に問われた際、彼と瓜二つの容貌を持つ酒浸りの弁護士シドニー・カートンによって窮地を救われている。ダルネーはルーシーと結ばれ、幸福な家庭を築くが、カートンはひそかにルーシーを愛しながらも、自分には彼女にふさわしい未来はないと悟り、身を引く。
物語はやがてパリでのフランス革命勃発へと転じる。圧政に苦しめられてきた民衆はバスティーユを襲撃し、旧体制への報復に燃える。旧領地の管理人が窮地に陥っていると知ったダルネーは、家名を捨てた身でありながら単身パリへ向かうが、エヴレモンド家の末裔であることが露見し、逮捕されて死刑を宣告される。
ダルネーは一度は釈放されるものの、かつてマネット博士自身が獄中で書き遺した告発状が発見され、これが決定的な証拠として突きつけられ、再び逮捕・断頭台行きを宣告される。糾弾の急先鋒に立つのが、革命家の妻マダム・デファルジュだった。彼女こそ、かつてエヴレモンド兄弟によって家族を惨殺された遺族であり、その復讐の対象はダルネーだけでなくルーシーとその娘にまで及ぼうとしていた。
事態を知ったカートンは、ダルネーと自分が瓜二つであることを最後の手段として用いる決意を固める。パリに乗り込んだ彼は投獄されたダルネーと密かに面会し、薬で眠らせて衣服を交換し、身代わりとなる。意識を失ったダルネーは「カートン」として牢を出され、ルーシーたちとともに国外へ脱出する。カートンは自らダルネーとして処刑台に上り、かつて自分が救えなかった人生の意味を、最後にただ一度だけ完全に果たす。
「これは私がこれまでしてきた中で最良のこと、最も安らかな休息だ。遠く、遠く……」という内なる言葉を最後に、カートンはギロチンにかかる。
読みどころ
- 「それは最良の時代であり、最悪の時代であった」という最も有名な小説の書き出しの一つ
- カートンという自己評価の低い男が到達する崇高さ
- フランス革命の熱狂と恐怖の歴史的描写
なぜ読み継がれるのか
ディケンズがこの作品で繰り返し用いる「甦り」という主題は、単なる感傷的な救済のモチーフではない。マネット博士は牢獄という死から救い出され、ダルネーはカートンによって処刑台という死から救い出される。そしてカートン自身もまた、酒に溺れ自分の人生に何の価値も見出せずにいた「生ける屍」のような状態から、最後の選択によって初めて本当の意味で「生きた」者となる。人が人生の意味を取り戻すのは、必ずしも成功や幸福によってではなく、何を差し出せるかによって決まるという逆説を、本作は繰り返し提示している。
もう一つ本作を現代に引き寄せているのは、暴力の連鎖という主題である。マダム・デファルジュの復讐心は、彼女の家族を踏みにじったエヴレモンド家の横暴に端を発した、それ自体は正当な怒りだった。しかし物語が進むにつれ、彼女の復讐は当初の対象を越えて無関係な妻子にまで及ぼうとし、かつて貴族が民衆に振るった暴力を、今度は民衆が貴族に対して振るう構図が反復される。抑圧された者たちの蜂起そのものを断罪するのではなく、正義の名のもとに始まった暴力がいかにして際限なく自己増殖していくかを、ディケンズは革命の熱狂を活写しながら冷静に見つめている。この構図は、大義のもとに憎悪が正当化され連鎖していく現代のあらゆる対立にもそのまま重なる。
さらに、ダルネーとカートンという「瓜二つの二人」が対照的な人生を歩みながら最後に一つに重なり合う構造は、階級や生まれによって固定されたかに見える人間の価値が、実は選択によっていくらでも書き換え可能であることを示している。血筋によって断頭台に立たされるはずだったダルネーと、その血筋とは無縁でありながら自ら断頭台を選んだカートン。二人の運命の交換は、出自ではなく行いこそが人間を規定するという、革命の時代における最も静かで最も過激な主張でもある。
ロンドンとパリという二つの都市の対比もまた、単なる背景ではなく主題そのものを担っている。整然とした秩序を保つロンドンと、恐怖政治に呑み込まれていくパリという対照は、安定した社会がいかに脆く、暴力へと転がり落ちる余地を常に抱えているかを示す装置として機能している。二都市を往還する登場人物たちの姿は、秩序と混沌が地続きであるという不穏な認識を読者に刻みつける。
主な登場人物
- シドニー・カートン — 才能を持ちながら自堕落な生活を送るイギリス人弁護士。ルーシーへの届かぬ愛を胸に秘め、物語の終盤で己の人生に唯一の意味を与える選択をする。
- チャールズ・ダルネー — エヴレモンド侯爵家の血を引きながら一族の圧政を恥じ、姓と財産を捨ててロンドンで生きるフランス貴族。ルーシーと結ばれるが、革命下のパリで一族の罪ゆえに命を狙われる。
- ルーシー・マネット — マネット博士の娘で、父を心の病から立ち直らせた献身的な女性。ダルネーの妻となり、周囲の男たちの人生を照らす存在として描かれる。
- アレクサンダー・マネット — かつてエヴレモンド家の悪事を目撃し口を封じられ、18年間バスティーユに投獄されていた医師。獄中で綴った告発状が、後にダルネーを窮地に追い込む皮肉な因縁となる。
- マダム・デファルジュ — 家族をエヴレモンド兄弟に惨殺された過去を持つ革命家。編み物に処刑対象者の名を刻みながら、執念深い復讐を果たそうとする。
- ジャーヴィス・ロリー — マネット家と長年関わるテルソン銀行の老行員。物語の各局面で人々を結びつけ、支える理性的な役割を担う。
印象的な場面
ロンドン法廷、瓜二つの発覚
物語の前半、ダルネーはイギリスで反逆罪に問われ、目撃証言によって有罪となりかねない窮地に立たされる。この場面で弁護側は、被告席のダルネーと傍聴席にいる弁護士カートンの顔かたちがほとんど見分けがつかないほど酷似している事実を突きつけ、証人の証言の信憑性そのものを崩してみせる。単なる法廷劇の山場としてだけでなく、この場面はのちに二人の運命そのものを入れ替えることになる「瓜二つ」という設定を、読者に強く印象づける最初の場である。この時点ではカートンの容貌は単なる偶然の一致、あるいは彼の皮肉な人生を際立たせる小道具に過ぎないように見えるが、物語を読み終えたあとに読み返せば、ここにすでに結末の萌芽が仕込まれていたことに気づかされる。ディケンズの伏線の置き方の巧みさが凝縮された場面である。
パリの法廷、獄中の手紙が読み上げられる
釈放されたはずのダルネーが再び逮捕される決め手となるのが、マネット博士がバスティーユ幽閉中に自らの血で綴った告発状である。デファルジュ夫妻が牢獄の跡から発見したこの手紙は、エヴレモンド家の非道を告発する内容であり、皮肉にも娘婿となったダルネーその人を断罪する証拠として法廷で読み上げられる。かつて自分自身を苦しめた絶望の記録が、時を経て愛する娘の夫の命を奪おうとする。この場面が痛切なのは、誰か一人の悪意によってではなく、過去の正当な怒りと苦しみの記録そのものが、皮肉な巡り合わせによって新たな悲劇を生み出す構造にある。マネット博士は自らの筆によって、意図せず娘の幸福を破壊しかけるのであり、その残酷さは革命そのものが抱える矛盾を凝縮している。
独房でのすり替えとギロチンへの道
処刑を待つ独房でダルネーと向き合ったカートンは、彼を薬で眠らせて服を交換し、看守の目をかいくぐって外へ運び出す。以降ダルネーとして牢に残ったカートンは、隣房で同じく処刑を待つ見知らぬ若い針子の娘に手を差し伸べ、恐怖に震える彼女を最期まで励まし続けながら、共に処刑台へと向かう。この場面が心を打つのは、カートンの犠牲がいかなる見返りも求めない、誰にも知られることのない静かな行為として貫かれている点にある。愛するルーシーは彼の犠牲を最後まで知ることはなく、称賛も感謝も彼のもとには届かない。それでもなお彼は最後の瞬間まで穏やかであり続け、見知らぬ娘の恐怖にすら手を差し伸べる余裕を失わない。自堕落だった男が誰の目にも触れない場所で到達する静かな崇高さこそ、本作の結末が忘れがたい理由である。
読後の1冊
自己犠牲と贖罪、そして革命という激動の時代を生きる人々の運命に心を動かされたなら、同じくフランス革命前後の混沌を舞台に、一人の男の魂の再生を壮大なスケールで描くレ・ミゼラブルを手に取ってほしい。囚われの過去を抱えた者たちの再生という点で、二都物語と深く響き合う一冊だ。不当な投獄と、そこから生まれる復讐という構図により深く惹かれたなら、シャトー・ディフに幽閉された男が周到な計画のもとに人生を取り戻していくモンテ・クリスト伯は格好の一冊だ。ディケンズ特有の、生まれや境遇に翻弄されながらも人間としての誠実さを問い直す筆致をもっと味わいたい読者には、同じ作者による大いなる遺産を薦めたい。孤児として育った青年が、身分違いの恋と恩人の正体をめぐって成長していく物語である。
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