歴史戦争群像劇
戦争と平和War and Peace
Leo Tolstoy / ロシア / 1869年 ・ 読了目安 1440分
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ナポレオンのロシア遠征を背景に、五つの貴族家族の15年間を描く人類最大の小説。
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主な登場人物
- ピエール・ベズーホフ莫大な遺産を継いだ不器用な青年で、人生の意味を求めてフリーメーソンや戦場をさまよう。捕虜生活とカラターエフとの出会いを経て、ようやく地に足のついた幸福にたどり着く。
- アンドレイ・ボルコンスキー名誉と栄光を求めて従軍する理知的な貴族。アウステルリッツでの負傷とナターシャとの出会いが彼を変えるが、婚約破棄の傷を抱えたままボロジノで再び重傷を負い、最期はナターシャに看取られる。
- ナターシャ・ロストワ生命力にあふれたロストフ家の娘。若さゆえの過ちでアンドレイを傷つけるが、時を経て成熟し、ピエールと家庭を築く。
- ニコライ・ロストフロストフ家の長男で軽騎兵。賭博の借金で家を傾けながらも、戦場での経験を経て地に足のついた人間へと成長し、マリアと結ばれる。
- マリア・ボルコンスカヤアンドレイの妹で、厳格な父に仕えながら信仰に生きる控えめな女性。父の死と屋敷の危機を経てニコライと結ばれる。
- プラトン・カラターエフピエールが捕虜生活で出会う農民。学も地位もないが、生きることそのものを丸ごと肯定する態度でピエールに人生観の転換をもたらす。
あらすじ
あらすじ(ネタバレあり)
1805年のロシア。ナポレオン戦争を背景に、ボルコンスキー公爵家・ロストフ伯爵家・ベズーホフ家を中心とした貴族たちの人生が交差する。
アンドレイ・ボルコンスキー公爵は戦場に出るが、アウステルリッツの戦いで重傷を負い、空の広大さを見上げながら人生の虚しさを悟る。帰国後に妻を産褥死で失い、精神的に死んだように生きる。ナターシャ・ロストワとの出会いで再び生きる意志を取り戻すが、ナターシャが浮気心から誘惑に乗って駆け落ちを図り婚約破棄になる。誘惑した相手はアナトール・クラーギンで、彼自身は事件後も傷一つ負わず社交界を渡り歩き、傷つくのはナターシャとアンドレイだけという理不尽さが際立つ。
一方、ロストフ家の長男ニコライは軽騎兵として従軍し、初陣での恐怖や高揚を経験しながら、賭博で親友格のドロホフに莫大な借金を負い、実家の財政をさらに傾かせる。従妹ソーニャの一途な愛には応えきれず、後にアンドレイの妹マリアと結ばれる道を選ぶ。
ピョートル・ベズーホフ(ピエール)は莫大な遺産を相続した不器用な青年で、悪妻エレンに振り回されながらフリーメーソンに入ったり、人生の意味を探し続ける。1812年、フランス軍がモスクワへ迫る中、老公爵ボルコンスキーは避難の途上で倒れ、屋敷に取り残されたマリアはニコライに救出され、二人の縁が結ばれる。同じ頃アンドレイはボロジノの戦いで再び重傷を負う。モスクワが燃える中、ピエールはナポレオン暗殺を試みて失敗し捕虜となる。行軍と粗末な扱いの中で出会った農民カラターエフが、彼に「生きること自体の充足」を教える。カラターエフは衰弱の末に行軍から脱落し、命を落とす。
ナポレオンのロシア撤退とともに、アンドレイは瀕死のままナターシャに看取られて死ぬ。
エピローグ:ピエールとナターシャは結婚し、穏やかな家庭を築く。マリアとニコライも結ばれる。老トルストイはこの「平和」を、英雄譚ではなく無名の人々の生活の中に見出す。
読みどころ
- 歴史の「大きな流れ」は個人の意志では変えられないというトルストイの歴史観
- アウステルリッツの青空、モスクワ大火など場面の圧倒的な視覚的強度
- 580人以上の登場人物が有機的に絡み合う構成の奇跡
なぜ読み継がれるのか
トルストイがこの小説で最も執拗に主張しているのは、歴史はナポレオンのような「偉人」が動かすのではなく、無数の個人の意志が寄り集まった結果として動くという歴史観である。作中でナポレオンは繰り返し、自分がすべてを計算し支配しているかのように振る舞うが、実際の戦場は霧と混乱と伝令の行き違いで満ちており、誰も全体を見通してなどいない。指導者やカリスマの決断が歴史を作るという物語は現代でも根強いが、この小説はその物語を戦場の内側から解体してみせる。SNSで可視化される「強いリーダー」像や、企業の成否を一人の経営者の手腕に還元する語りが溢れる時代だからこそ、この懐疑は古びない。
もう一つの軸は、社交界での自己演出と、人間が本当に生を実感する瞬間との落差である。アンドレイが名誉を求めて戦場に立つ場面と、負傷して仰向けに倒れ、ただ空の広さに打たれる場面はまったく別の質感を持つ。ピエールも、フリーメーソンの儀式や社交界の評判といった「意味ありげなもの」を渡り歩いた末に、捕虜としてすべてを剥ぎ取られた状態でようやく生きる実感に触れる。地位や評判の獲得競争が可視化されやすい現代の生活感覚に照らすと、この対比は他人事ではなく読める。
さらに見過ごせないのは、ナターシャという人物の扱い方である。彼女は一度、若さゆえの過ちで婚約者を深く傷つけるが、物語はその過ちを彼女の人格そのものの烙印にはしない。時間をかけて傷を負った人々がそれぞれの形で回復していく過程を、トルストイは裁くのではなく見届ける姿勢で描く。過ちを犯した女性が物語的に罰され続けるという型が根強い文学史の中で、この筆致は今読んでも新鮮に感じられる。
主な登場人物
ピエール・ベズーホフ — 莫大な遺産を継いだ不器用な青年で、人生の意味を求めてフリーメーソンや戦場をさまよう。捕虜生活とカラターエフとの出会いを経て、ようやく地に足のついた幸福にたどり着く。
アンドレイ・ボルコンスキー — 名誉と栄光を求めて従軍する理知的な貴族。アウステルリッツでの負傷とナターシャとの出会いが彼を変えるが、婚約破棄の傷を抱えたままボロジノで再び重傷を負い、最期はナターシャに看取られる。
ナターシャ・ロストワ — 生命力にあふれたロストフ家の娘。若さゆえの過ちでアンドレイを傷つけるが、時を経て成熟し、ピエールと家庭を築く。
ニコライ・ロストフ — ロストフ家の長男で軽騎兵。賭博の借金で家を傾けながらも、戦場での経験を経て地に足のついた人間へと成長し、マリアと結ばれる。
マリア・ボルコンスカヤ — アンドレイの妹で、厳格な父に仕えながら信仰に生きる控えめな女性。父の死と屋敷の危機を経てニコライと結ばれる。
プラトン・カラターエフ — ピエールが捕虜生活で出会う農民。学も地位もないが、生きることそのものを丸ごと肯定する態度でピエールに人生観の転換をもたらす。
印象的な場面
アウステルリッツの空
戦場で重傷を負い倒れたアンドレイが、目に入る旗や煙の代わりに、ただ果てしなく高い空を見上げる場面である。地上での名誉や勝敗への執着が、その空の広さの前でいかにちっぽけかを彼は悟る。この場面が効くのは、直前まで彼が英雄的な死に場所を求めて突撃していたという落差にある。人間が命がけで追い求めていたものが、痛みと出血の中でふいに意味を失う瞬間を、トルストイは説教ではなく視覚だけで描き切っている。
捕虜収容所でのカラターエフとの出会い
モスクワが燃え落ちた後、ナポレオン暗殺に失敗したピエールはフランス軍の捕虜となり、粗末な扱いを受けながら行軍させられる。そこで出会う農民カラターエフは、財産も教養もないが、目の前の食事や仲間との会話をまるごと肯定して生きている。ピエールがそれまで書物や社交界の議論の中で探し続けてきた「人生の意味」が、実は最も過酷な状況に置かれた最も何も持たない人間の中にすでにあったという逆転が、この場面の芯にある。カラターエフがやがて行軍から脱落し命を落とす結末が、その充足の儚さを一層際立たせる。
ナターシャに看取られるアンドレイの死
かつて婚約破棄という深い傷を負わせた相手であるナターシャが、瀕死のアンドレイのそばに付き添い、最期を看取る場面である。和解や許しという言葉で片づけるにはあまりに静かで、二人の間にあった怒りや後悔がすでに言葉を超えた場所に達していることが伝わってくる。人間関係の決着が、劇的な対話ではなく、ただそばにいることでしか成立しないという描き方に、トルストイの人間観の核が表れている。
読後の1冊
歴史のうねりの中で個人がもがく物語の余韻に浸りたいなら、同じトルストイによるアンナ・カレーニナを。舞台はロシア社交界に絞られるが、人間の情熱と社会規範の衝突を見つめる筆致は共通している。歴史と個人の運命がより深く絡み合う大河小説を求めるなら、ロシア革命期を舞台にしたドクトル・ジバゴも響くはずだ。また、戦場の英雄譚をあえて解体する視点に惹かれたなら、第一次大戦の塹壕から戦争の実相を描いた西部戦線異状なしを合わせて読むと、二つの時代の「反英雄的な戦争文学」が呼応し合う。
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