ディストピア女性政治
侍女の物語The Handmaid's Tale
Margaret Atwood / カナダ / 1985年 ・ 読了目安 300分
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出生率が激減した神権国家で、女性は「産む機能」に還元された。
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主な登場人物
- オフレッド本名を剥奪され、所有格で「フレッドの」を意味する名で呼ばれる侍女。夫と娘を奪われた記憶を抱えながら、従順を装いつつ密かに抵抗と生存の道を探り続ける。
- フレッド・ウォーターフォード(司令官)オフレッドが配属される屋敷の主で、体制の設計にも関わった高官の一人。しきたりを破ってオフレッドとスクラブルに興じるなど、自ら作った制度の外側にある親密さを求める矛盾を抱えている。
- セリーナ・ジョイ司令官の妻で、かつては女性の「家庭回帰」を説くテレビ伝道師だった。自らが後押しした体制の中で発言権を奪われ、庭仕事と編み物だけを許された存在になっている。
- ニック司令官の屋敷に仕える運転手兼護衛。オフレッドと道ならぬ関係を結び、物語の結末を左右する鍵を握るが、その正体と真意は最後まで明かされない。
- モイラオフレッドの大学時代からの親友で、レッド・センターからの脱走を試みる反骨の人物。捕らえられたのちは違法クラブ「ジザベルズ」で働かされ、かつての反抗心がすり減っていく姿を見せる。
あらすじ
あらすじ(ネタバレあり)
近未来のアメリカ合衆国が舞台。環境汚染や性感染症の蔓延によって出生率が壊滅的に落ち込んだのち、キリスト教原理主義勢力によるクーデターで合衆国憲法は停止され、「ギレアド共和国」という神権体制が樹立される。女性は財産権と識字能力を奪われ、「妻」「侍女」「マルタ(家政婦)」「女性の目(女性職員)」「小母(教育係)」などの階級に厳格に分けられ、それぞれ色分けされた制服の着用を義務付けられる。
「侍女」は数少ない妊娠可能な女性として、子を産む機能のためだけに生かされる階級だ。主人公は本名を奪われ、所有格で「フレッドの」を意味する「オフレッド」という名を与えられる。彼女は司令官フレッド・ウォーターフォードの屋敷に配属され、月に一度の「儀式」——妻セリーナ・ジョイに体を押さえられた姿勢で司令官と性交させられる行為——に服する。妊娠しなければ「非女性」の烙印を押され、汚染地帯コロニーへの強制労働送りが待つ。
オフレッドには奪われる前の人生があった。夫ルークと幼い娘、自分の仕事と口座を持つ生活である。国境を越えて逃げようとした一家は捕らえられ、娘は「正しい」家庭に引き渡され、ルークの生死さえ分からないまま引き裂かれた。彼女は小母たちが統率するレッド・センターで侍女としての教化を受け、そこで大学時代からの親友モイラと再会する。モイラは脱走を試み、一時姿を消す。
配属先の屋敷で、司令官はしきたりを破ってオフレッドを執務室にひそかに呼び出し、女性には禁じられている文字遊び「スクラブル」に興じるようになる。司令官の妻セリーナ・ジョイはかつて女性の「家庭回帰」を説くテレビ伝道師だったが、いまや自分が後押しした体制の中で、庭仕事と編み物だけを許された身に成り下がっている。
なかなか子を宿さないオフレッドに対し、セリーナは司令官の運転手兼護衛ニックとの密通を持ちかける。オフレッドはニックと本物の感情を通わせ、身籠もる——子の父が誰なのか、彼女自身にも分からない。買い物仲間の侍女オブグレンを通じて地下抵抗組織「メーデー」の存在を知り、接触を試みるが、仲間の一人は正体を見破られて処刑され、組織との細い糸はそこで途切れる。
物語は宙づりのまま終わる。ある夜、「目(秘密警察)」を名乗る一団が屋敷に踏み込み、オフレッドは黒い車に乗せられて連れ去られる。それがニックの手引きによる救出なのか、それとも逮捕なのか、彼女自身にも読者にも判然としないまま本編は幕を閉じる。続く「歴史的背景に関する注釈」では、はるか後の時代の学術シンポジウムという体裁でオフレッドの証言テープが研究対象として扱われ、ギレアド共和国がすでに歴史上の一体制として崩壊していたことが示唆される。
読みどころ
- 女性の身体をめぐる政治的支配の極端な論理的帰結
- 宗教右派・家父長制への精密な批判
- TVドラマ化で再び世界的話題に。「侍女の衣装」は世界中の抗議デモのシンボルに
なぜ読み継がれるのか
アトウッドは執筆にあたって「人類がどこかの時代、どこかの場所で実際に行ったことのない要素は書かない」という自制のルールを課したことで知られる。侍女制度も、聖書のラケルとビルハの故事を体制の教義に転用したものであり、強制的な出産管理そのものはルーマニアの人口政策やピューリタン期の性規範など、現実の歴史に先例を持つ。この「発明ではなく再編集」という手続きが、ギレアドを絵空事のディストピアではなく、既存の制度の部品を組み替えれば誰にでも組み立てられる体制として立ち上がらせている。だからこそ、生殖に関する権利が政治的に後退するたびに、この小説は繰り返し参照される。近年アメリカで人工妊娠中絶をめぐる憲法上の権利が覆されたときも、侍女の赤いローブと白い頭巾は各地の議事堂前に実際の抗議衣装として現れた。虚構が現実の抗議の語彙になるという逆転そのものが、この作品の批評性を証明している。
もう一つの固有の論点は、体制を支える暴力の担い手が男性だけではないという構図だ。侍女を調教する小母たち、屋敷を監督するセリーナ・ジョイ、下働きを統率するマルタたち——ギレアドの日常は、女性が女性を管理し、女性が女性を密告する仕組みの上に成り立っている。セリーナ・ジョイがかつて女性の「家庭回帰」を説く伝道師であり、自らの主張が具現化した体制によって発言権を奪われる皮肉は、家父長制が男対女という単純な対立ではなく、既存の価値観に同調した者さえ最終的には道具として扱う構造であることを示す。抑圧を「よそ者の男たちの陰謀」に還元せず、身近な思想の延長線上に描いた点に、この小説の持続する鋭さがある。
三点目は、言語と証言の統制というテーマである。女性には読み書きが禁じられ、司令官との禁じられたスクラブルは、単なる密会ではなく識字そのものへの飢えを描く場面になっている。侍女の前任者が壁に残したラテン語風の落書きは、公式の言葉から締め出された者が非公式の言葉で抵抗の跡を残す行為の象徴だ。そして物語の外枠である「歴史的背景に関する注釈」は、オフレッドの肉声による証言テープが、はるか後の時代の学者たちによって史料として分析され、時に軽い笑いとともに扱われる場面を描く。当事者の生々しい証言が、後世の学術的な距離によってどのように整形され、時に軽んじられるかという問題提起は、証言や当事者性の扱いが常に議論となる現代においてなお切実である。
主な登場人物
オフレッド — 本名を剥奪され、所有格で「フレッドの」を意味する名で呼ばれる侍女。夫と娘を奪われた記憶を抱えながら、従順を装いつつ密かに抵抗と生存の道を探り続ける。
フレッド・ウォーターフォード(司令官) — オフレッドが配属される屋敷の主で、体制の設計にも関わった高官の一人。しきたりを破ってオフレッドとスクラブルに興じるなど、自ら作った制度の外側にある親密さを求める矛盾を抱えている。
セリーナ・ジョイ — 司令官の妻で、かつては女性の「家庭回帰」を説くテレビ伝道師だった。自らが後押しした体制の中で発言権を奪われ、庭仕事と編み物だけを許された存在になっている。
ニック — 司令官の屋敷に仕える運転手兼護衛。オフレッドと道ならぬ関係を結び、物語の結末を左右する鍵を握るが、その正体と真意は最後まで明かされない。
モイラ — オフレッドの大学時代からの親友で、レッド・センターからの脱走を試みる反骨の人物。捕らえられたのちは違法クラブ「ジザベルズ」で働かされ、かつての反抗心がすり減っていく姿を見せる。
印象的な場面
「儀式」の場面
毎月一度、司令官の寝室でオフレッドはセリーナ・ジョイの脚のあいだに体を横たえ、その手を握られたまま司令官と性交させられる。これが「儀式」と呼ばれる制度の中核であり、聖書の一節が体制の教義として引用されたうえで執り行われる。この場面が効くのは、アトウッドが暴力を扇情的に描かず、あえて事務的で退屈な手続きとして描写している点にある。オフレッドの語りは感情を昂らせるのではなく、天井の染みや部屋の調度に意識をそらす描写に終始し、彼女自身が精神を体から切り離すことで耐えている様子がそのまま文体に反映される。読者は暴力そのものよりも、暴力を日常の一部として処理しなければならない主体の内面を追体験させられる。派手な描写を避けたことがかえって読後に長く残る不快感を生んでおり、この抑制こそが本作の暴力表現における最大の技巧だと言える。
ジザベルズでのモイラとの再会
司令官はオフレッドを女性用の衣装に着替えさせ、規則を破って高官専用の秘密クラブ「ジザベルズ」に連れ出す。表向きは禁欲を掲げる体制の内側で、女性が性的に消費される娯楽施設が公然と黙認されているという事実そのものが強烈な皮肉になっている。そこでオフレッドはかつて脱走したはずのモイラと再会するが、モイラはもはや反骨の闘士ではなく、投げやりな軽口で状況をやり過ごす「クラブの女」として働かされている。かつて物語の中で最も抵抗の意志を体現していた人物が、皮肉と諦観の仮面をかぶって現れる落差が、この場面を痛切なものにしている。読者はオフレッドとともに、抵抗が必ず報われるわけではないという事実を突きつけられ、生き延びることと屈服することの境界の曖昧さを思い知らされる。
連行の結末と「歴史的背景に関する注釈」
物語の終盤、「目」を名乗る一団が司令官の屋敷に踏み込み、オフレッドは黒い車に乗せられて連れ去られる。運転してきたのがニックの手引きによる救出なのか、正体を見破られた末の逮捕なのか、本編は一切の説明を与えないまま幕を閉じる。この宙づりの結末そのものが、全体主義下で消えていった無数の証言が完結した物語として語られることはないという現実を映している。続く「歴史的背景に関する注釈」では、はるか後の時代の学者たちがオフレッドの肉声テープを史料として分析し、時に軽い笑いを交えながら真偽や欠落を論じる様子が描かれる。当事者の切実な証言が、後世の学術的な距離によって整形され、娯楽的な余談として消費されかねないという構造そのものを描くことで、この小説は自らの語りの外側にもう一段の批評を仕込んでいる。
読後の1冊
体制による支配と個人の抵抗という主題をさらに掘り下げたいなら、監視と思考統制を通じて全体主義を完成させる一九八四年を合わせて読みたい。ギレアドが宗教的禁欲と出産の管理によって女性の身体を統制するのに対し、こちらは言語と記録の書き換えによって思考そのものを統制する。支配の方法論を比較しながら読むと、両作の恐怖の質の違いがより鮮明になる。快楽と消費によって従順さを作り出すすばらしい新世界も対照的な一冊だ。恐怖で服従させるギレアドの体制と、快楽で骨抜きにするこちらの世界を並べると、どちらの支配がより逃れがたいかという問いが浮かび上がる。また、声を奪われた女性が沈黙の中から自らの言葉を取り戻していく物語としてはカラーパープルも強く響き合う一冊であり、時代や舞台は異なっても、制度によって奪われた声を語り直す女性の系譜として並べて読む価値がある。
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