幻想風刺悪魔
巨匠とマルガリータThe Master and Margarita
Mikhail Bulgakov / ソ連 / 1967年 ・ 読了目安 360分
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悪魔がソビエト・モスクワを訪れた。官僚と文化人が次々と化けの皮を剥がれる。
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主な登場人物
- ウォランドモスクワに現れる謎の外国人で、正体は悪魔サタン。腐敗した官僚や俗物を超自然の力で次々と裁くが、その裁きはどこか公正に見え、人間よりも人間の弱さをよく理解している。
- 巨匠名を伏せられた小説家。ポンティウス・ピラトゥスを描いた作品を当局に黙殺され精神を病み、原稿を焼いて自ら精神病院に入る。批評家たちの攻撃が彼の心を静かに折っていく。
- マルガリータ巨匠を愛する人妻。彼を救うため悪魔ウォランドと契約し、魔女として舞踏会の女王を務める献身と決断力の人。
- イワン・ベズドームヌイベルリオーズの死を目撃した若い詩人。誰にも信じてもらえず精神病院に収容され、巨匠と出会う。後年は歴史学教授として生きる。
- ポンティウス・ピラトゥスユダヤを統治するローマの検察官。イェシュアの無実を知りながら保身から死刑を追認し、二千年におよぶ後悔の呪縛を背負う。
あらすじ
あらすじ(ネタバレあり)
1930年代モスクワ。謎の外国人ウォランド(実は悪魔サタン)が取り巻きとともに現れ、ソビエト社会の偽善と腐敗を次々と暴いていく。物語は文芸誌編集長ベルリオーズが、ウォランドから「今夜、頭を切断されて死ぬ」という予言めいた話を聞かされた直後、路面電車に轢かれて本当に斬首されるという衝撃的な場面から始まる。彼は舗道にこぼれたひまわり油に足を滑らせて転倒し、電車の車輪の下に巻き込まれる。この場に居合わせた若い詩人イワン・ベズドームヌイは犯人を追い回すが誰にも信じてもらえず、そのまま精神病院に収容されてしまう。院内で彼は、自らを「巨匠」と名乗る謎の男と出会う。
劇場では「魔術ショー」と称して女性に高級衣装を与えた後、衣装が消えて裸にする。賄賂を受け取ったり嘘をついた官僚たちは奇妙な罰を受ける。ウォランドが定宿とする「不吉なアパート」の管理人ニカノル・イワノヴィチは、賄賂として受け取ったはずの金がドル紙幣に変わっており、通貨不正所持の罪で連行される。ウォランドの取り巻き――道化じみた元聖歌隊長コロヴィエフ、拳銃を撃つ巨大な黒猫ベゲモート、殺し屋アザゼロら――がモスクワ中を引っかき回し、虚栄と保身にまみれた人々を次々と滑稽な窮地に追い込んでいく。作家たちが集う高級レストラン「グリボエードフの家」も、この騒動のなかで炎に包まれ全焼する。
並行して描かれるエルサレムの物語:検察官ポンティウス・ピラトゥスとイエス(イェシュア)の対話。ピラトゥスはイェシュアを無実だと知りながら処刑を命じる。激しい偏頭痛に苦しむピラトゥスの様子をイェシュアは見抜き、痛みを和らげる言葉をかける。この束の間の交流が、ピラトゥスの逡巡をいっそう際立たせる。その後悔が2000年にわたる呪縛となる。
もう一つの物語:「巨匠」はポンティウス・ピラトゥスを主人公にした小説を書いたが、当局に迫害されて自分で原稿を焼き、精神病院に自ら入る。マルガリータは巨匠を愛し、彼を救うために悪魔と取引して「魔女の舞踏会」の女王となる。舞踏会には歴史上の毒殺者や人殺したちの霊が招かれ、一晩中彼らを出迎え続けるマルガリータの献身が試される。
ウォランドはマルガリータの願いを聞き、巨匠を救い出す。二人は「光ではなく安息」を与えられ、永遠の穏やかな世界へ去る。ピラトゥスも2000年の苦しみから解放される。目撃者だったイワンは後年、歴史学の教授となって平穏に暮らすが、満月の夜になると決まって同じ夢を見続ける。夢の中で彼は、月明かりの道を歩き続けるピラトゥスの姿を繰り返し目にする。
「原稿は燃えない」という有名な台詞が、ソビエト検閲への抵抗として語り継がれる。
読みどころ
- スターリン時代の検閲を逃れるため作者の死後に出版された20世紀最大の問題作
- 悪魔が正義を体現し、正しい側が腐敗しているという逆転構造
- 「原稿は燃えない」——芸術は権力に滅ぼせないという信念
なぜ読み継がれるのか
ブルガーコフが実際にこの小説の初稿を自らの手で暖炉に投げ込んだという事実を知ると、「原稿は燃えない」という台詞の重みは変わってくる。当局の圧力に屈して自作を焼いた作家が、その後も記憶を頼りに同じ物語を書き直し続けた。つまりこの台詞は、権力に対する威勢の良いスローガンである以前に、屈服してしまった自分自身への反論だった。実際、この作品が完全な形で読めるようになるまでには長い年月がかかり、検閲でカットされた部分は読者の間で手書きの写しとなって広まっていったという逸話も残る。検閲に怯えて口をつぐんだ経験のある読者――それは全体主義国家の住人に限らない――にとって、この一行は今も生々しい。
作品の芯にあるのはピラトゥスの罪の描き方である。彼はイェシュアを無実だと確信しながら、自らの地位と保身を優先して死刑を追認する。断罪すべきはその判断そのものより、判断を下す前に一瞬迷い、迷った末に怯懦を選んだ過程にある。ブルガーコフはこれを2000年続く呪縛として描くことで、「間違った選択をした」ことより「正しいと知りながら怯えて選ばなかった」ことのほうが重い罪だと言い切っている。保身のための沈黙や忖度が日常の一部になっている場所であれば、この構図は時代を問わず刺さる。
もう一つの魅力は、モスクワの諷刺劇とエルサレムの受難劇、そしてマルガリータの恋愛譚という三つの異質な物語が一冊の中で強引に同居している点にある。滑稽な官僚いじめの直後に、二千年前の処刑の場面が挟み込まれる構成は読者の感情の温度を絶えず裏切り続け、娯楽としての風刺劇か重厚な宗教的寓話かという単純などちらか一方の読み方に落ち着かせない。笑いの直後に厳粛さを差し込むことで感情の緩急を強いる構成そのものが、今なお新鮮に映る。
そして何より、腐敗した官僚たちを裁くのが正義の味方ではなく悪魔だという逆転が効いている。国家機構の内部では告発も処罰も機能しないという絶望を前提に、外部からやってきた超自然の力が代わりに帳尻を合わせてしまう。これは現実には存在しない「因果応報」への渇望を満たす装置であり、現実の告発や裁きが機能不全に陥っていると感じる読者ほど、この寓話的な仕返しの物語に強く引き込まれる。
主な登場人物
ウォランド — モスクワに現れる謎の外国人で、正体は悪魔サタン。腐敗した官僚や俗物を超自然の力で次々と裁くが、その裁きはどこか公正に見え、人間よりも人間の弱さをよく理解している。
巨匠 — 名を伏せられた小説家。ポンティウス・ピラトゥスを描いた作品を当局に黙殺され精神を病み、原稿を焼いて自ら精神病院に入る。批評家たちの攻撃が彼の心を静かに折っていく。
マルガリータ — 巨匠を愛する人妻。彼を救うため悪魔ウォランドと契約し、魔女として舞踏会の女王を務める献身と決断力の人。
イワン・ベズドームヌイ — ベルリオーズの死を目撃した若い詩人。誰にも信じてもらえず精神病院に収容され、巨匠と出会う。後年は歴史学教授として生きる。
ポンティウス・ピラトゥス — ユダヤを統治するローマの検察官。イェシュアの無実を知りながら保身から死刑を追認し、二千年におよぶ後悔の呪縛を背負う。
印象的な場面
ヴァラエティ劇場の「魔術ショー」
コロヴィエフとベゲモートが仕切る舞台では、まず紙幣が客席に降り注ぎ、観客は先を争って拾い集める。次に「新作ドレスの無料進呈」と称して女性客をステージに上げ、最新流行の衣装を着せていく。さらに司会者ベンガリスキーの首がベゲモートによってもぎ取られるという見世物まで挟まれ、観客は悲鳴と笑いの間で引き裂かれる。ところが劇場を出た瞬間、紙幣はただの紙切れに変わり、衣装は跡形もなく消えて下着姿の女性たちが街に取り残される。この場面が効くのは、罰を受けるのが「悪事を働いた者」ではなく「虚栄に釣られただけの一般市民」だという点にある。ブルガーコフは特定の悪人を吊るし上げるのではなく、物欲と虚栄という誰もが持つ弱さそのものを白日の下にさらしてみせる。読者は笑いながら、自分も同じ席に座っていたら同じように紙幣に飛びついただろうと気づかされる。
サタンの舞踏会
マルガリータは全裸に近い姿で一晩中舞踏会の女主人役を務め、地獄から呼び出された歴史上の毒殺者や人殺したちを一人ずつ出迎え続ける。訪れる客の一人ひとりが跪いて彼女の膝に口づける儀礼が延々と続き、その数は圧倒的である。足は腫れ上がり、疲労は限界を超えるが、彼女は誰に対しても同じ礼儀正しさを崩さない。この試練の核心は、彼女が巨匠を救うという一点のためだけに、道徳的な判断を保留して悪そのものをもてなし続けるところにある。悪魔の側に立つことを恐れず、愛のために自らの品位や安全を差し出す彼女の姿は、単純な自己犠牲の美談ではなく、体制の中で誠実に生きることの限界を突きつける寓話として読める。舞踏会が終わった後にウォランドが見せる敬意は、彼女の献身が試験に合格したことの証でもある。
「原稿は燃えない」
巨匠が絶望のうちに焼き捨てたはずのピラトゥスの物語を、ウォランドが灰の中から無傷のまま取り出してみせる場面である。「原稿は燃えない」という台詞はここで発せられ、以後この小説全体を象徴する言葉として独り歩きしていく。灰から本を取り出すウォランドの所作はあくまで軽やかで、超常の奇跡を日常の一コマのように扱うその温度差が、かえって出来事の異様さを際立たせる。効果的なのは、この奇跡が読者を安心させて終わる場面ではなく、巨匠自身がその奇跡を前にしても救われた実感を持てずにいる点だ。作品は権力に対する芸術の勝利を高らかに歌い上げるのではなく、一度心が折れた人間がどれほど回復しがたいかを同時に描く。だからこそ最後に与えられるのが「光」ではなく「安息」であることが重く響いてくる。
読後の1冊
『巨匠とマルガリータ』の巻頭にはゲーテのファウストから、常に悪を欲しながら常に善をなす力の一部だと名乗るメフィストーフェレスの言葉が引かれている。ウォランドという悪魔の造形そのものがファウストの系譜を継いでいることを踏まえて読むと、この作品の悪魔観がいっそう立体的に見えてくる。
ロシア文学における官僚諷刺の系譜をたどるなら、ゴーゴリの死せる魂は欠かせない。地方役人たちの俗物ぶりを笑いのめす筆致は、ブルガーコフがモスクワの文壇や住宅委員会を描くやり方に確実に流れ込んでいる。
不条理な組織の理不尽さに笑いながら怒りを覚えた読者には、ジョーゼフ・ヘラーのキャッチ=22も薦めたい。舞台も時代も異なるが、個人を押しつぶす官僚機構への抵抗という一点で響き合う一冊である。
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