実存主義哲学日記
嘔吐Nausea
Jean-Paul Sartre / フランス / 1938年 ・ 読了目安 220分
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存在の重さが突如むき出しになるとき。世界の不条理に吐き気を覚えた男の記録。
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あらすじ
あらすじ(ネタバレあり)
歴史家アントワーヌ・ロカンタンは、フランスの港町ブーヴィルで一人暮らしをしながら、十八世紀の冒険家ロルボン侯爵の伝記を執筆している。ある日から彼は「嘔吐」と呼ぶ奇妙な感覚に襲われ始める。砂浜で拾った小石が手の中で奇妙な重さを持ち、日常の事物が突然生々しい存在感をもって迫ってきて、吐き気を催させるのだ。
日記形式で記される意識の変化のなかで、ロカンタンは市立図書館の自称「独学者」と交流し、彼のヒューマニズムへの嫌悪を深める。以前の恋人アニーとも再会するが、彼女もまた「完璧な瞬間」を追い求めることをやめ、空虚な漂流者となっていた。二人は互いに何も与え合えず別れる。
転機は公園でマロニエの木の根を見つめたときに訪れる。木の根は「ただそこにある」という剥き出しの存在として迫り、ロカンタンは「実存は本質に先立つ」という真実を体で悟る。世界はいかなる意味も持たず、人間の理性や言葉は存在の余剰物に貼られたラベルに過ぎない。
ロカンタンは研究を断念してブーヴィルを去ることを決める。ただしジャズのレコードから得た「音楽は存在しない、ただ流れ去るのみ」という感覚が、かすかな救いのヒントとして残る。彼は小説を書くことで、この偶然性と嘔吐に意味を与えようと試みる可能性を最後にほのめかす。
読みどころ
- 実存主義哲学を難解な論文としてではなく、一人の男の生々しい感覚体験として描いた革命的なアプローチ
- マロニエの根の場面——「存在の過剰」という概念が抽象論ではなく肉体的な嘔吐感として立ち上がる圧倒的な描写
- 独学者のヒューマニズムへの批判を通じて、楽観的人間中心主義の欺瞞をえぐる鋭い社会批評
- 芸術(小説・音楽)が不条理の世界で唯一可能な応答であるという示唆——サルトル自身の創作行為への自己言及
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